高次の存在よりも、結局は自分自身
ここまでの神様との会話を通して最も理解したことは、「神様はアドバイスはしてくれるけれど、参拝者に直接何かをしてくれることは、ほとんどない」ということでした。
高次の存在と話せば話すほど、「結局は、自分自身なのだ」ということを、強く認識する結果となったのです。
そうしたこともあり、今は神社仏閣へ行くことに、関心がなくなってきています。
それよりも、自分のあり方、気持ちの持ち方について、関心が強くなっています。
神社仏閣の高次の方々も、私がしつこく声をかけるからお話をしてくださるのであり、人間にメッセージを伝えることは、任務とされていませんので。
4日の記事で、部屋のエネルギー状態が悪化したため、住まいの中の御札を全部しまったことを書きました。
それでも完璧ではなかったので、その後に数か所にあった盛塩、水晶などのパワーストーンなど、高波動を出しているらしいいわゆる縁起物は、全部しまいました。
笠森観音の招き猫ちゃんだけは、しまうのが可愛そうなので出しています…
セージも今の状況ではマイナスとなるようなので焚かず、その代わりに良い香りのアロマを時々焚いています。
長年、朝晩御札に手を合わせていましたが、それも行っていません。
それでも良き存在に守られていることは信じ、時々感謝の気持ちを伝えています。
それで、十分なのだろうと思います。
霊感が開いてからはかなりの霊媒体質になっているため、また御札を出したりすることもあるかもしれませんが、今は大変すっきりとした状況になっています。
昨晩、私の守護者が、「高波動という考えについて、注意しなければならない」ということを伝えてきました。
ネット上で流れているような高波動についての考えは、
「人間の、『理想を現実化したい』という憧れが招いている考えのため、逆に苦しさを増す結果になる」
…というようなことを言っていました。
高波動といっても色々な考えがあると思います。
明るく幸福な気持ちが波動を高め、それが実際に幸福な生活を招くということは、確かだと思います。
しかし、それに「願い事が何でも叶っちゃう」という考えが上乗せされると、流れがおかしくなるように思います。
まあ、そう書けば「楽して幸せになりたい」という人間の欲を刺激して、サイトのアクセス数も上がるし、本も売れる訳ですが。
そのため、そうしたことを言っている本人だけの願いは叶い、妙な説得力が出てしまう訳です。
ただ神様にお願いしたり、空想したりしているだけで、お姫様みたいな毎日が訪れる…と勘違いする人を、数多く生み出すことになると思います。
現実的な願い事をする際、例えば仕事については自分の能力が絶対的に影響しますし、一生懸命願って妄想しても、アイドルタレントと結婚するのは不可能と言えます…しかし、そうした当たり前のことが、見えなくなってしまうのだと思います。
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