何度親しく話しても、神様とは「友達」にはなれない
神社の神様とどれだけ親しく話したとしても、当然ながらその上下関係は、歴然としています。
ですから、何度親しく話しても、神様と対等の関係になる…すなわち「友達」になる、ということはありません。
その上下関係を例えてみると…会社の社長と新入社員、という感じでしょうか。
さらに、誰を神様に例えると分かりやすいかな…と考えて思いついたのは、「天皇陛下」です。
天皇陛下はいつも微笑まれていて優しいですが、何度か親しく話したからといって、「私たち、もう友達ね♪」なんて思いませんよね?
思ってしまったとしても、それは大いなる勘違いであることは、お分かりになると思います。
神様と人間は、それくらい…それ以上に、位に関する隔たりがあります。
特に神社の神様は、「気高い」という言葉がぴったりと当てはまります。
人間のように、虚栄を張るような無理な気高さではなく、ピシッとした精神をお持ちで、物事を高い位置から眺める、まさに気高い存在です。
慈愛はお持ちですが、情に流されることがなく、一般的に思われている以上に冷静でドライです。
このブログをよく読まれている方はご存知かと思いますが、千葉神社でたくさんの会話をしたにも関わらず、こちらの神様に、突然ご縁を切られてしまったことがありました。
神様の性質にもよりますが、そのときに、予想以上にドライでいらっしゃるんだなあ…と思ったのでした。人間のように、情に流されて何かをする…ということは、ない訳です。
それに比べると、寺院や教会の方々は、もう少しお情けが深いかな…という印象があります。
友達関係を例に挙げると…非常に忙しくしている人に、暇な人がひんぱんに連絡を入れて、どうでもいい話を長々と愚痴る…という関係が続くと、いずれ友達関係は崩壊します。
支え合うのではなく、一方的に寄りかかる関係だからです。
神様はほぼすべてのことをご存じですから、人間に有益な助言もできますし、いざというときに助けることもできます。
しかし、人間が神様に与えられるものは、「感謝の気持ち」しかありません。
どうしても、一方的に頼る関係になってしまいます。
そうしたことから、対等の関係、すなわち「友達」になることはできない、ということです。
親しく話せるようになったからといって、「友達(対等)になった」などと、勘違いしないように。
もちろん私自身も心得ていますし、皆様も身近な神社の神様に対してでも、敬う気持ちを忘れないで欲しいなと思います。
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