「好き」にこだわることは、「嫌い」も生まれるということ
スピリチュアル的な教えで、時々「自分の好きなものを集めて、好きなものだけを見て気分を上げて過ごすと良い」というようなことを見聞きします。
それはそれで、良いことだと思います。無理に嫌なことに関わっていく必要はまったくありません。しかしそれは、決して究極の状態を示す訳ではありません。
「好きなもの」を意識するということは、同時に「嫌いなもの」も存在しているということになります。「好きなもの」を強く意識すればするほど、「嫌いなもの」として排除するものとの溝が深まっていきます。
まあ、好き嫌いがあるのは人間にとって当たり前のことではありますよね。私も好き嫌いの強い人間ですからね。
究極の精神状態とは、まるで神様のような状態…そう、「すべてのものを慈しむ」という状態です。好きも嫌いもなく、すべての物事に温かい慈愛を注いでいる状態なのです。
例えば人間同士であれば、好きな人もいれば嫌いな人もいる…という状態ですよね。しかし、例えばウサギなど、可愛い動物がたーくさんいたら、どう思うでしょうか。多くの人が、「このウサギは好きだけど、あのウサギは嫌い」などと感じず、すべてのウサギに慈しみの感情を持てるのではないでしょうか。
神様が人間を見ているときは、きっとそのような感情なのだろうな…と思っています。
ランキングに参加しています。
少しでも多くの方に読んでいただきたく、1日1回の応援クリックをお願いします。
| 固定リンク
「スピ的思考」カテゴリの記事
- その神様の名前は、どう決められたの?(2022.02.16)
- 木々のエネルギー(2021.11.14)
- 神社の神様の構造は、どうなっている?(2021.07.22)
- 低次元の存在と高次元の存在の働きかけの違い(2021.06.29)
- 高次元の存在から、突き放される場合とは……(2021.06.13)