神様を感じる生き方
私は目に見えない世界に長く積極的に関わってきたのと同時に、本当に長いこと、大量の仕事に追われて生きてきました。それが急に変わったのは、ほんの2か月ほど前です。仕事に切れ目が出来て、今は自動的に仕事に追われない生活に変化しています。
もともとダラけて過ごすことは苦手なので、料理や掃除の家事をいつもより丁寧にこなすようになりました。神様に手を合わせる時間も、自然と長くなりました。そこで感じたのは、「真の幸福感」でした。何にも追われることなく、自分で好きなことができる時間がたくさんあることが、本当に嬉しくて幸せなのです。そして日々神様に気持ちを向けて、ゆったりとした生活を送り、真摯に生きることができています。そして、ますます神様の存在が近くなってきたのです。
仕事や勉強に追われると、脳がキリキリしてきますよね。一瞬も無駄にできないと常に気を張り、成果主義となって、家事が後回しになってしまう。夜布団に入っている時にも、次の仕事のことで頭が一杯になっている。充実感や終わった時の達成感は、あるにはあるのですが、それは真の幸福感とは程遠い感情です。ここ最近になって初めて、そのことが分かったように思います。
原始人や未開人は、狩猟や農業中心の生活を送っていて、現代人のように様々な職種を持っていませんし、それほど多くのやることもありません。ただ生きるために食料を生産し、消費し、家や生活用品を作っているだけです。生きているから、生き続けるために生きているのであり、「何のために生きているのか」などという小難しいことは考えていないでしょう。直接自然に触れて生活していることで、神様とも深く関わり合うことができています。時間は常にゆったりと流れ、「真の幸福感」を味わうことができているはずです。幸福に生きていく上で、実はそれほどたくさんのことは必要ないのです。
現代人の脳は、様々な刺激を通して次から次から色々な考えを呼び起こし、心が休まる暇がありません。狭く汚れた空しか見えない都会のコンクリートの中でパソコンに向き合い、自然に触れる時間はほとんどなく、神様から遠ざかった生活を送っています。
戦後から長い時間を通して、経済の発展が最高の幸せである、という価値観が根付いてきた訳ですが、そろそろそれを見直す必要があるのではないかと思います。
ただ……このような考えを持つのは、私が年を取ってきたからかもしれませんね。パワーがある若いうちはダラダラせずに、色々なことに挑戦した方が、長い目で見て良い人生になると思います。若い時の時間って、本当に貴重ですからね。
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